おこしやす。浮世絵いうたら、誰しも一度は耳にしたこと、おありやろ。せやけど、その世界を作り上げた絵師はんらが、どんな人生を歩んでこられたんか、ご存じどすか?
写楽はんの正体は、いまだ謎に包まれたまんま。歌麿はんの美人画は、今もなお色あせしまへん。そして北斎はんは、命尽きるその日まで筆を持ち続けはった——。そんなべらぼうな天才絵師たちの生きざまを、門井慶喜はんの小説『べらぼう』が見事に描いてくれてはります。
ほな、ご一緒に、江戸の絵師はんらの世界、のぞいてみまひょか。
この記事を読むとわかること
- 2025年大河ドラマ『べらぼう』で描かれる、写楽・歌麿・北斎の人生
- 天才絵師たちの才能と、時代に翻弄された数奇な運命
- 江戸時代の芸術を支えた蔦屋重三郎の功績と、その影の苦労
- 「天才は生きている間に評価されない」という歴史の皮肉
- 浮世絵の価値が海外で先に評価され、日本で遅れを取った背景
- 写楽の正体や、美人画の革命児・歌麿、常識破りの北斎の破天荒な生き様
- 芸術家と権力の対立、時代の流れに抗った者の末路
- 「べらぼう」な才能を持つ者が生き抜くために必要なものとは?
- 最後に皮肉たっぷりの川柳でまとめられた、芸術の苦い現実
『べらぼう』とは?——門井慶喜はんが描かはった浮世絵師たち
さてさて、大河ドラマ『べらぼう』、2025年に放送されるらしいけど、どんな話か思たら、これがまぁ、江戸の「裏方の英雄」の物語どす。裏方いうても、こっそり働いてたんやなくて、がっつり文化を支えとった人なんやけどな。せやのに、今までほとんど取り上げられんかったんやから、ほんま世の中ちょろいもんどす。
このドラマの主人公は、江戸の出版業界を牛耳っとった「メディア王」蔦屋重三郎はん。いやまぁ、「王」とか言われたら聞こえはええけど、実際は「文化のパトロン」いうてもええやろな。せやけど、この人、あまりにも先を行きすぎてて、時代に潰されてしもた。そやけど、そのおかげで後の芸術が花開いたんやから、まさに「報われへん天才」どすなぁ。
結局、歴史に名を残すんは、絵師や作家ばっかりで、それを世に出した人間のことなんか誰も覚えてへんのや。まぁ、今のエンタメ業界でも同じことやろなぁ。役者や監督の名前はすぐ出てくるのに、プロデューサーや脚本家のことなんか、誰も気にせんやろ?世の中、そういうもんどす。
『べらぼう』のあらすじとテーマ
まぁ、ざっくり言うたら、「天才を見出した男の栄光と没落」の話どすな。言うても、ただの「偉人伝」やおまへんで。江戸のクリエイターたちがどんだけ苦労して、どんだけエエ加減な時代に翻弄されたか、がっつり描かれるはずや。
そもそも、蔦重はんは、今で言うたら「アート系ベンチャー企業の社長」みたいなもんやったんやけど、当時の幕府っちゅうのは、「文化とかいらんから、黙って農業しとれ」みたいなノリやったんどす。そんな中で、歌麿や写楽や北斎を売り出して、江戸文化を盛り上げたんやから、ほんま大したもんどす。
けどなぁ、結局、幕府に目ぇつけられて、お取り潰し。江戸文化の火をつけたのに、自分自身は燃え尽きて終わるいう、なんとも切ない話やわぁ。そんなんやったら、最初から何もせん方がマシやったんとちゃうか?……って、そんなこと言うたら、今のクリエイターたちが泣いてまうな。
なんで今、写楽・歌麿・北斎なんやろ?
ほな、なんで2025年に、こんな話を大河でやるんやろ?そこが気になるとこやなぁ。
まぁ、最近やたらと浮世絵が持ち上げられとるんもあるけど、正直な話、「日本の芸術文化って、こんなすごかったんやで!」って、海外向けにアピールする気マンマンなんとちゃいまっか?歌麿はんの美人画も、写楽はんの役者絵も、北斎はんの風景画も、今のデザインに通じるもんがあるからなぁ。海外で評価されてるもんを、いっぺん日本でもきちんと紹介しとこか、みたいなノリなんやろな。
ほんで、もうひとつ大事なんが「表に出る才能」と「裏方の苦労」の話どす。今のエンタメ業界でも、スター俳優はチヤホヤされるけど、それを支える裏方は使い捨て。そやけど、このドラマでは、その裏方の奮闘を描こういうんやから、なかなか渋い選択どすなぁ。でも、視聴者はどこまで興味持つんやろ?派手なチャンバラとかないと、すぐに「つまらん」とか言い出す人、おるんとちゃうやろか。
まぁ、どっちにしろ、制作陣の腕の見せどころどすなぁ。もし、中途半端なドラマになったら、「あぁ、また大河でようある薄っぺらい美化ドラマか」言われて終わるで?そこんとこ、気張ってもらわんとな。
謎の絵師・東洲斎写楽——その正体と魅力
浮世絵の話になると、必ず名前が出てくる写楽はん。せやけど、このお人のこと、ほんまにちゃんと知ってる人、どれだけおるやろ?「役者絵がすごい!」「強烈な個性!」ってよう言われるけど、肝心の「誰が描いたん?」いう話になると、途端にみんな口をつぐむんどす。ええかげんなもんどすなぁ。
写楽はんが世に出たんは1794年、わずか10ヶ月の間に140点以上の役者絵を発表して、そっからふっと消えてしもた。まるで打ち上げ花火みたいな絵師どした。ほんで、その絵がまぁ、濃い。役者の顔はギョロッと見開いた目、歪んだ口元、強調された表情——まるで歌舞伎の舞台がそのまま紙の上にのっかってるみたいやったんや。
ところがなぁ、これが賛否両論。「こんなもん、芸術ちゃう!」言う人もおれば、「いやいや、これは写実や!」言う人もおった。まぁ、ようするに「新しすぎて誰もついていけへんかった」っちゅう話やな。日本人って、こういう時すぐに「奇抜すぎる」とか言うて切り捨てる癖あるんどす。ほんま、もったいない話どす。
写楽は誰だったのか?諸説を検証
さて、ここからが本題。写楽はんの正体については、昔からいろんな説があるんやけど、どれも決定打に欠けるんどす。
有力な説のひとつが、「写楽=斎藤十郎兵衛」説。このお人は阿波藩(今の徳島県)の能役者で、江戸に出てきて浮世絵を描いとったんやないか、言われとる。確かに能役者なら、歌舞伎役者の特徴をよう見て描けたやろうし、ポーズの付け方とか、目の表情の捉え方も納得できる。
せやけど、ちょっと考えてみなはれ。能役者がなんでいきなり浮世絵描きに転身するんや?しかも、たった10ヶ月で140点も描いて、それっきり消えてしもた。これ、めちゃくちゃ不自然やと思いまへんか?
ほかにも、「写楽は実は北斎はんやった」とか、「いや、勝川春章の弟子が描いとったんや」とか、いろんな説が出とるけど、どれも証拠不十分。ほんま、歴史の謎っちゅうのは、ええ加減なもんどすなぁ。
写楽の役者絵に込められた革新性
ほな、写楽はんの絵の何がそんなにすごかったんか。これは一言で言うたら、「ここまでデフォルメしてええんか!?」っちゅうことどす。
それまでの役者絵いうたら、わりとお上品なもんやった。まぁ、役者さんの肖像画みたいなもんやし、ファンが買うもんやから、ある程度カッコよく描いたり、美しく見せたりするのが普通どした。せやのに、写楽はんは「そんなこと知るか!」言わんばかりに、役者の表情を劇的にデフォルメしたんどす。
たとえば、『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』。この絵、見たことおますか?役者が舞台上でキッと目を見開いて、手をグワッと広げてる。もう、完全に「このシーンの、この一瞬!」いうのを切り取ったもんどす。普通の浮世絵師やったら、こんな大胆な構図、怖くて描けへんかったやろなぁ。
せやけど、この「リアルすぎる表現」が仇になった。役者絵いうたら、ファングッズみたいなもんやのに、ファンが求めてる「推しの美しさ」とはちゃう方向に行ってしもた。そら、売れへんわなぁ。結果、写楽はんの絵は人気を得ることなく、ひっそりと姿を消してしもたんや。
まぁ、これもようある話どすなぁ。後の時代になって「実はすごかった!」って評価されるパターン。生きてるうちに評価されたらどんだけよかったか。ほんま、世の中ちょろいもんどす。
喜多川歌麿——美人画の革命児
美人画の巨匠、喜多川歌麿はん。せやけど、このお人の人生、ほんま「美しいものを追い求めた結果、ボコボコにされた男」やったんどす。
せっかく美人を描いたんやさかい、幸せな話にしたろか思たら、まぁ時代の流れっちゅうんは無情なもんやなぁ。浮世絵が庶民の娯楽として大流行しとった時代、歌麿はんの描く美人大首絵はバカ売れしたんやけど、それが気に入らんお偉方がいてはったんどす。
幕府のお偉方いうのは、いつの時代も、庶民が楽しむもんに目くじら立てる癖がある。歌麿はんの絵が売れすぎるのが気に入らんかったんか、それとも遊郭や町娘の姿をリアルに描きすぎて「品がない」とか言いたかったんか、とにかくいちゃもんつけられて、最後には投獄されてしもたんどす。
いやいや、今やったら「表現の自由!」って騒がれるような話やけど、当時は「政府の言うことに逆らう奴はアカン!」やったんやろなぁ。せやけど、そんな規制があったからこそ、歌麿はんの美人画は余計に輝いたんやと思いまへんか?
歌麿が生み出した「大首絵」の衝撃
さて、歌麿はんの代表作といえば、やっぱり「美人大首絵」どすな。今でいう「ポートレート写真」みたいなもんで、従来の全身像とはちゃうて、顔をドアップにした絵が特徴やったんどす。
当時の浮世絵いうたら、そらまぁ、全身の姿をしなやかに描くのが主流やったんどす。せやけど、歌麿はんは「顔の美しさにフォーカスした方がええんちゃう?」って発想をしたんやな。ほんで、大胆に顔をドアップにしたら、これがまた大当たり。
そやけどなぁ、これ、現代で例えたら、インスタ映えの流行みたいなもんやろな。いきなり「美人画の革命や!」言われても、最初は「こんなんアリか?」みたいな反応やったんやないやろか。今でも、「加工しすぎや!」「実物と違う!」とか言う人おるけど、歌麿はんも当時はそんな風に言われたかもしれへん。
けど、結果的にこの「大首絵」がヒットして、町の人らはみんな「歌麿はんの美人画が欲しい!」ってなったんどす。せやのに、幕府のお偉方は「けしからん!」言うて、後々大問題になっていくんやから、ほんま芸術家って報われへん仕事どすなぁ。
時代に翻弄された歌麿の波乱の人生
そやけど、どれだけ売れっ子でも、時代の流れには逆らえへん。歌麿はんも、江戸の文化がピークを迎えた時代には大スターやったけど、時代が変わると一気に追い詰められてしもたんどす。
特に痛かったんが、寛政の改革どすな。これは幕府が「風紀を乱すものはアカン!」ってことで、遊郭関係の文化をガンガン取り締まった政策やったんどす。美人画は、そもそも遊郭の女性をモデルにしたもんが多かったさかい、そらもう、歌麿はんにとっては大打撃。
まぁ、規制が入ったからって、そこでおとなしくなるような歌麿はんやおまへん。「美人画がアカン言うんやったら、これならどうや?」いうて、細かい工夫を凝らしたり、ちょっと意地悪な皮肉を込めた絵を描いたりしとったんどす。
せやけど、それも長くは続かんかった。結局、「政治を風刺した」ってことで、幕府に捕まってしもて、手鎖50日いう処罰を受けたんどす。今で言うたら、SNSでバズりすぎてアカウント凍結くらったみたいなもんどすなぁ。
ほいで、その後、歌麿はんはガクッと勢いを失ってしもた。まぁ、そらそうやろなぁ。捕まった後も気にせんと描き続けられるほど、タフな人やなかったんやろ。結局、そのまま衰えていって、亡くなってしもたんどす。
せやけど、ここでおもろいんが、歌麿はんの作品は、本人が亡くなってからもどんどん評価が上がっていったことどす。まるで「死んでから有名になる芸術家」の典型みたいなどすなぁ。ほんま、生きてる間にちゃんと評価してあげたらよかったのに、後から「実は天才やった!」とか言い出すの、ちょっと白々しないかいな?
葛飾北斎——常識を超えた奇才の生涯
さてさて、葛飾北斎はん。浮世絵の世界で知らん人はおらんやろけど、「どんな人やったん?」って聞かれたら、たいていの人が答えられへんのちゃいますか?
このお人、まぁとにかく破天荒。絵がうまいのはもちろん、生活のしかたがもうめちゃくちゃやった。引っ越しは一生で90回以上、しかも理由が「部屋が汚れたから」。掃除するくらいやったら、新しい場所に移った方がええ思たんやろなぁ。まぁ、今で言うたら「ミニマリスト」とか「ノマドワーカー」とか言われるんかもしれへんけど、要するに「片付けができん変人」やったんどす。
ほいで、金にも興味なし。せっかく浮世絵でバカ売れしても、その金をちゃんと管理する気ぃがまったくない。身なりもボロボロやし、飯にもこだわらん。なんやったら、銭湯に通うのも面倒くさがるレベルやったとか。まぁ、今でいう「仕事に没頭しすぎて生活破綻しとるオタク気質の人」やったんやろなぁ。
せやけどなぁ、こういう人が芸術の世界では大成功してしまうんやから、世の中おもろいもんどすなぁ。
北斎が描いた『富嶽三十六景』の魅力
ほな、北斎はんの代表作、『富嶽三十六景』について見ていきまひょか。これ、誰しも一度は目にしたことあるんちゃうやろか?あの、波がドドーン!と盛り上がって、富士山がちょこんと背景にあるやつ。あれが『神奈川沖浪裏』、北斎はんの最高傑作のひとつどす。
せやけど、この絵の何がそんなにすごいか、ちゃんと考えたことありますか?ただの「波の絵」やと思うたら大間違いやで。あの波、まるで生き物みたいやろ?まるで手がワシャワシャ動いてるみたいに見える。しかも、その迫力ある波の後ろに、ちょこんと富士山を置いて、対比をバッチリ決めてる。これ、遠近法を最大限に活かしたデザインで、まさに「浮世絵の革命」やったんどす。
さらに言うたら、この構図はヨーロッパの美術にも大きな影響を与えたんやで。ゴッホとかモネとか、当時の西洋画家がこぞって北斎はんの絵を研究したいう話、聞いたことありまへんか?せやのに、日本では長いこと「ただの浮世絵」扱いされてたんやから、ほんま評価が遅い国どすなぁ。
まぁ、結局のところ、日本人っちゅうのは「自分らの文化はすごい!」言いながら、実際には海外で評価されるまで気づかへんことが多いんや。ほんま、もったいない話どす。
90歳まで筆を握り続けた執念
ほいで、北斎はんのすごいところは、まぁ何よりも「死ぬまで絵を描き続けた」いうことやろな。
普通なぁ、人間ちゅうのは、歳をとったら「そろそろ隠居しよか」思うもんやけど、北斎はんにはそんな考え、一切あらへんかった。「まだまだ未熟や」「あと5年生きたら、ほんまにええ絵が描けるのに!」言うて、死ぬ直前まで筆を握っとったんや。
まぁ、ここまでくると執念というよりも、もう「病気」やろな。絵を描くことが生きることそのものやったんやろ。これ、今でいうたら、「引退せずに100歳まで仕事し続ける起業家」みたいなもんやな。普通の人にはよう真似できん執念どす。
ほいで、最後の最後に残した言葉がまたすごい。「あと10年、いや5年でも生きられたら、ほんまにええ絵が描けたのに……」やて。90年生きても、まだ「未完成」思てるんやから、そらもう狂気の沙汰どすな。
せやけど、こういう人がおるからこそ、今でも名を残しとるんやろなぁ。「天才」いうのは、「常識にとらわれへん人」いうことなんかもしれへん。
『べらぼう』で描かれる天才たちの共通点とは?
さてさて、これまで紹介してきた写楽はん、歌麿はん、北斎はん。
みんな個性バラバラで、「似てるとこなんかあるんかいな?」思うかもしれまへんな。
せやけど、よう考えたら、この3人には「共通する狂気」があったんどす。
結局のところ、「天才」いうのは、普通の考え方してたらなれへんのや。
世間の常識をぶっ壊して、「自分はこうや!」いうスタイルを貫いた人だけが、後の時代に評価されるんどす。
ただし、それは「生きてる間に成功する」いうこととはちゃうんどすなぁ……。
時代を超えて愛される作品の秘密
さて、この3人の作品、今でも世界中で評価されてまっしゃろ?
なんでそんなことになったんや思いまっか?
それはな、「時代の流れを読まずに、自分が描きたいもんを描いた」からどす。
せやけど、ここが大事なんやけど、それを「流行に乗らなかった失敗者」と見るか、「後世に影響を与えた革命児」と見るかは、時代によって変わるんどす。
たとえば写楽はん。
あの強烈な役者絵、当時の江戸では「キモい」とか「リアルすぎる」とか言われて、全然売れへんかった。
そやのに、今になって「写実的なデフォルメがすごい!」って評価されてる。
ほんなら最初から評価したったらよかったんとちゃいまっか?
まぁ、そういうもんどすなぁ……。
歌麿はんの美人画もそうどす。
当時の幕府は「遊郭の絵はアカン!」って規制したけど、今や「日本美の象徴」扱い。
いやいや、そない言うんやったら、なんで当時は手鎖50日とかいう意味不明な罰を受けなアカンかったんや?
ほんま、世の中ちょろいもんどすなぁ。
北斎はんに至っては、「もうちょっと生きてたら最高の絵が描けたのに」とか言いながら90歳まで描き続けはった。
せやけど、その死後、世界中の美術に影響を与えてるんやから、皮肉な話どす。
天才と呼ばれる者の孤独と情熱
さて、もうひとつ、3人に共通しとることがありまっせ。
それは「孤独」どす。
天才いうのは、だいたい孤独なんどす。
そらそうやろ、周りと違うもんを生み出すんやさかい、最初は誰にも理解されへん。
写楽はんも、誰やったんかわからんまま歴史に埋もれたし、歌麿はんは幕府に潰され、北斎はんは貧乏のまま死んでしもた。
「才能があれば幸せになれる」やなんて、甘い話やったんどすなぁ。
ほいで、ここが皮肉なとこやけど、「死んでから評価される」いうのも、3人の共通点どす。
生きてる間は苦しんで、死んでから「実はすごかった!」言われるパターン。
これはもう、「天才の宿命」やろなぁ……。
けど、こんな皮肉な歴史を繰り返してるのに、今もなお「本物の才能はすぐに評価されるべき!」とか言う人がおるんやから、世の中おもろいもんどす。
まとめ:写楽・歌麿・北斎——「べらぼう」な才能が生んだ芸術
さてさて、ここまで見てきた写楽はん、歌麿はん、北斎はん。
この3人、江戸時代の浮世絵界をとんでもなく揺るがした天才絵師どした。
せやけど、その生涯を振り返ると、まぁ気の毒な話ばっかりどすなぁ。
写楽はんは、世間に評価される前に消えてしもた。
歌麿はんは、幕府に目をつけられて投獄されるという理不尽を味わった。
北斎はんは、貧乏のまま一生を終えて、「あと5年あれば最高の絵が描けたのに……」いうて未練たらたらで死んでしもた。
いやいや、そない言うたら、結局この人ら、幸せやったんかいな?
ほんま、「天才」は大変な商売どす。
「好きなことをやる」言うても、それだけで食うていけるほど世の中甘ない。
けど、それでも3人とも、時代に逆らいながら筆を握り続けはった。
せやからこそ、今も作品が語り継がれてるんどすなぁ。
ほいで、もうひとつ大事なんが、この3人の才能を世に出した蔦屋重三郎はんの存在どす。
この人がおらんかったら、写楽はんの役者絵も、歌麿はんの美人画も、北斎はんの風景画も、全部埋もれてたかもしれへん。
せやのに、今では「偉大なプロデューサー」として大々的に称えられてるかいうたら、意外とそうでもない。
ほんま、世の中ちょろいもんどすなぁ。
そやけど、この大河ドラマ『べらぼう』が放送されたら、ちょっとは世間の目も変わるかもしれへん。
「天才が才能を発揮するには、誰かがそれを広めなアカン」——この事実を、みんなが改めて考えるきっかけになったらええんやけどなぁ……。
ほな、最後に、この話を川柳でまとめさせてもらいますえ。
死んでから
褒められたって
しゃあないわ
天才も
役人ひとつに
潰される
浮世絵は
国より先に
世界行き
ほな、これにてお開き。
『べらぼう』の放送を楽しみに待ちながら、この天才絵師たちのこと、ちょっとでも思い出してもらえたら嬉しおす。
この記事のまとめ
- 2025年の大河ドラマ『べらぼう』は、江戸のメディア王・蔦屋重三郎の物語
- 写楽・歌麿・北斎という天才絵師たちを世に送り出した男の奮闘
- 写楽は短期間で消えた謎の絵師、美人画の歌麿は幕府に潰され、北斎は貧乏のまま死去
- 才能があっても、生きている間に報われるとは限らない皮肉な歴史
- 江戸時代の芸術が海外で評価され、日本は後から追いついた現実
- 「天才は孤独」——彼らの共通点は、常識に縛られず自分を貫いたこと
- 芸術と権力の対立、時代を超えて愛される作品の背景
- ラストは皮肉たっぷりの川柳で締めくくられる、芸術家の苦難の物語
こんな感じでどうどす?
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