あんさん、江戸時代の政治いうたら、田沼意次はんと松平定信はんの対立は外せしまへんえ。
田沼はんは商売人と手ぇ組んでお金の流れを良うしたんやけど、その一方で賄賂が横行してしもてなぁ。
ほんで松平はんがそれをガラッと変えて、倹約第一の「寛政の改革」を始めはったんやけど、そないうまいこといかんかったんも事実や。
ほな、この二人のやり方の違いを、「べらぼう」という言葉を絡めて、じっくり紐解いていきまひょか。
この記事を読むとわかること
- 田沼意次と松平定信の政治の違いと対立の背景
- 江戸時代の経済政策が現代の政治・経済に与えた影響
- 「べらぼう」の語源と当時の世相の関係
田沼意次と松平定信の対立の背景とは?
江戸の政治も、ほんまに「ええ加減」にしてほしいわ。なんでこうも極端な人ばっかり出てくるんやろな?
田沼意次はんは「金がすべてや!」言わんばかりに商人とズブズブ、松平定信はんは「質素倹約!庶民は黙って米食うとき!」と締め付ける。
ほんで、どっちの時代がええか? 言うたら「どっちもキツいわ!」てのが本音やろなぁ。
田沼はんの政治、どないなもんやったん?
田沼はんの政治言うたら、「金、金、金!」。商人と手ぇ組んで、経済回したろうとしたんはええけどな、そのお金がどこ行ったかっちゅう話や。
「幕府のため」とか言いながら、賄賂が横行して、結局お偉いさん方の懐ばっかり潤ったんちゃうの?
けどまあ、なんやかんや言うても、庶民には少しはおこぼれが回ってきたんかもしれんな。「田沼の時代はよかった」言う人もおるくらいやし。
せやけど、ほんまに「ええ時代」やったんやったら、田沼はん、あないにボロクソ言われへんかったやろ? そこが「田沼政治」のアカンところやねん。
松平はんの改革、ほんまに良かったんやろか?
ほんで次に出てきた松平定信はん。「田沼政治はケシカラン!」言うて、一掃したまではええけどな、その後が最悪やったんや。
「贅沢禁止!娯楽もあかん!商売人は静かにしとき!」いうて、何でもかんでも規制しまくり。庶民は締め付けられるし、町の活気もなくなるし、ほんま「楽しくない時代」になったんや。
「改革」ちゅうのは、ただ厳しくすることやないねん。バランスが大事やのに、それをわかってへんのが松平はんのアホなところや。
ほんで結局、経済が停滞して、庶民の暮らしはさらに苦しゅうなった。「貧乏が正義」みたいなこと言うてるけど、そんなん誰が喜ぶんや?
二人の考え方、ここがちゃうかったんや
田沼はんは「金儲けがすべて」、松平はんは「清貧こそ正義」。どっちも極端すぎて、正直、庶民にはついていけまへんわ。
商売人と組んで経済回すのはええけど、賄賂まみれでは信用されへん。かと言うて、「倹約!倹約!」言うて、娯楽も商売も締め上げたら、みんな疲れてしまう。
結局な、どっちのやり方も「庶民のことをほんまに考えてへん」っちゅうこっちゃ。偉そうに「改革」やら「政治」やら言うとるけどな、庶民は楽しゅう暮らせたら、それでええねん!
ほんでどっちがマシやったか? って話やけど……まあ、「田沼の方がマシやったなぁ」言われる時点で、松平はんの負けやわな。
田沼意次の政策とは?江戸の商業発展と腐敗
田沼はんの政治いうたら、まぁ一言で言うたら「銭勘定」ですわな。
「経済を回せば国が豊かになる!」言うて、商人と手ぇ組んで新しいことやりはった。
けどな、気ぃついたら商人どころか役人まで「金さえ積めばなんでもできる」いう世の中になってしもた。
「改革や!経済発展や!」言いながら、結局は賄賂で政治を回しとったんやから、そら叩かれますわなぁ。
重商主義の推進と経済成長
田沼はんの経済政策のええところは、なんやかんや言うても実際に景気が良くなったことや。
特に長崎貿易なんかで金銀を増やして、銅やら海産物やらを輸出して、幕府の財政を潤そうとしたんや。
「国が貧しいのは商売せぇへんからや!」いうて、商人を優遇したんは今の資本主義に近い考え方やった。
せやけどな、商人と組むっちゅうことは、「どっちがどれだけ儲かるか?」が問題になってくるわけで……。
ほんで、幕府の役人まで「ワシも儲けたい!」言うて、袖の下が飛び交うようになったんや。
賄賂政治と民衆の不満
まぁ、田沼はんの時代を語る上で賄賂は避けて通れまへんわな。
「ちょっと目をつぶってくれまへんか?」「お役人さん、ここは一つ……」いうやり取りがあちこちで行われてたんや。
商人は儲けるために役人に金を渡し、役人はその金でええ暮らしする。そんでその分のツケが庶民に回ってくる。
……なんや今の政治とおんなじやな?
そら庶民も怒りますわ。「商人ばっかりええ暮らししとる!」言うてな。
ほんで結局、「田沼政治をぶっ潰せ!」いう声が高まって、とうとう失脚することになったんや。
田沼政治の成功と失敗
田沼はんの功績としては、そらもう「経済活性化」やろな。
商売の自由度を上げて、貨幣経済を発展させた。庶民の間にも金が流れたし、文化も栄えたんは確かや。
せやけどな、「金が全て」いう考えで政治を回したせいで、腐敗が進んでしもた。
そら、「正しくないことしても金さえあれば何とかなる」いう世の中になったら、破綻しますわな。
ほんで最後は、政治の混乱と天災(天明の大飢饉)で「田沼の時代はもうあかん!」言われて退場ですわ。
まあ、これも歴史の必然やったんかもしれまへんな。
松平定信の寛政の改革!厳格な統治の光と影
田沼はんの「金まみれ政治」があかんかった言うて、松平定信はんが登場したんやけど……。
この人、まあ極端な考え方の持ち主でな。「清貧が一番!商売も娯楽もアカン!」いうて、世の中を窮屈にすることしか考えてへんかったんや。
ほんで「倹約!倹約!」言うてたけど、そないなこと言うとる本人は武士の家でぬくぬくと暮らしとったんやから、笑わせまんなぁ。
ほな、寛政の改革の何がアカンかったんか、じっくり見ていきまひょ。
質素倹約の強制と民衆の反応
定信はんがやりはったことの代表が、質素倹約の徹底や。
「贅沢は敵や!」「米を大事にせぇ!」「遊びなんかしとる場合ちゃうで!」言うてな。
せやけど、庶民にしたら「米も食えん時代に倹約しろ言われても、もう我慢の限界や!」ちゅう話や。
ほんで極めつけが「棄捐令(きえんれい)」や。これ、借金をチャラにする命令なんやけど、結局、貸した方の商人が大損こくハメになったんや。
「金を貸すのが悪い!」みたいな話になってしもて、商売人はたまったもんやあらしまへん。
そら、経済なんか回るわけないですわなぁ……。
農村復興策の効果と限界
定信はんは農村も立て直そうとしたんやけど、これもまたムチャなことばっかりや。
「百姓は田畑を耕してこそ百姓や!」「町へ出るな!商売なんか考えたらアカン!」
こう言うて、農民をガッチガチに縛りつけたんや。
いやいや、農業だけでやっていけへんから、みんな町へ出て商売しようとするんやろ?
それを「農村に帰れ!」言うたって、どうにもなりまへんわなぁ。
結果、農民の暮らしはちっとも良うならんかったんや。
ほんま、机上の空論ちゅうのはこのことやで。
田沼時代からの急激な転換による混乱
そもそも、田沼はんの時代からの急転換があかんかったんや。
それまで「商売してなんぼ!」の世の中やったのに、いきなり「倹約せぇ!」言われても、みんなついていけへんやろ。
出版業もめっちゃ規制されてな、「風刺はアカン!エンタメもアカン!」て言うて、文化の発展を止めたんや。
特に「黄表紙(いまでいう漫画みたいなもん)」を取り締まったんが最悪やったな。
風刺の効いたもんを全部ダメにするって、今の言論統制みたいなもんやで?
ほんで「庶民は黙って真面目に働け」いうメッセージばっかり流しとったんやから、そら反発も出ますわなぁ。
結局、寛政の改革は成功したんか?
さて、これだけ厳しいことやった寛政の改革、結局うまくいったんやろか?
答えは「ノー」ですわ。
「贅沢を控えたら国が良うなる!」って考えは、結局、経済を冷え込ませただけやった。
商売は停滞するし、庶民は苦しむし、武士の給料も増えへんし、結局ええことなんもなかったんや。
ほんで最終的には、定信はんも「もうアカンわ……」言うて失脚するハメになったんや。
つまりな、田沼はんの「金まみれ政治」もあかんかったけど、定信はんの「締め付け政治」もあかんかったんや。
「極端なことやっても、ロクなことにならん」いう、歴史の教訓やなぁ。
「べらぼう」に見る江戸時代の世相
「べらぼう」言うたら、今では「とんでもない」とか「アホらしい」みたいな意味やけど、もともとは江戸時代の言葉なんや。
ほんでまた、この時代ほど「べらぼう」な出来事が多かった時期もあらしまへん。
田沼はんの「金で何でも動く政治」も、定信はんの「生真面目すぎて息が詰まる政治」も、どっちも「べらぼう」やったんや!
ほな、この言葉の由来と、田沼・定信の時代とどう関係してるんか、じっくり見ていきまひょ。
「べらぼう」の語源と意味
「べらぼう」の語源は、江戸時代の大道芸人の口上から来とる言われとります。
もともとは「無頼坊(ぶらいぼう)」が変化したもんで、ならず者とか、無茶なことする人を指したらしい。
せやけど、そのうち意味が変わって、「とんでもないこと」とか「度を超えたもの」を指すようになったんや。
ほんでまぁ、この田沼・定信の時代こそ、まさに「べらぼう」なことばっかりやったんやで。
田沼意次の時代と「べらぼう」の関係
田沼はんの時代、何が「べらぼう」やったか言うたら、そらもう賄賂政治ですわ!
「この話、通したかったら金払え!」 「役人に袖の下を渡せば、なんでもできる!」 まるで時代劇の悪代官そのまんまやがな。
ほんで、商人たちはその「べらぼう」な金額の賄賂を払うて、自分らの都合のええように政治を動かしとったんや。
そやけど、いざ田沼はんが失脚したら、「あれ?田沼時代の方が良かったんちゃうか?」いう声も出てくる始末。
なんやねん、それ!ほんまに「べらぼう」な話やで!
松平定信時代の民衆の言葉の変化
ほんで、田沼はんが追い出された後に出てきたのが松平定信はんやけど、こっちも「べらぼう」やったで。
「庶民は質素倹約!遊びもダメ!商売人も大人しくしとき!」言うて、ガッチガチの締め付け政治や。
せやけど、そんな締め付けられてばっかりの時代、人はどうするか?
せや、言葉でストレス発散するんや!
「べらぼうめ!」 「なんちゅうべらぼうな話や!」 「こんな世の中、べらぼうやわ!」
……こんなふうに、民衆の間で「べらぼう」って言葉が広がっていったんや。
要するに、「アホらしいわ!やっとれんわ!」って気持ちがこの一言に込められとったんやろな。
結局、田沼も定信も「べらぼう」やったんちゃう?
「金で政治を回した田沼はん」と「締め付けまくった定信はん」、どっちがええか?
どっちもどっちや!どっちも「べらぼう」な政治やったんや!
田沼はんは経済を回したけど賄賂まみれ。 定信はんは汚職をなくそうとしたけど、庶民をガチガチに締め上げた。
結局、極端なことばっかりやっとるから、どっちの時代も庶民は苦しんだんやで。
ほんま、歴史は「バランスの大切さ」を教えてくれるっちゅうことや。
せやけどな、こんな江戸時代の「べらぼう」な政治を見とったら、今の世の中も変わらんのちゃうか?思てまうわ。
田沼意次 vs 松平定信の対立が現代に与えた影響とは?
江戸の時代が終わっても、政治のやり方は結局「田沼型」か「定信型」のどっちかや。
「金を回せば景気が良くなる!」ちゅうて市場に金をばらまくのが田沼型。
「無駄遣いはアカン!倹約第一!」ちゅうて財政引き締めるのが定信型。
ほんで、今の世の中を見てみぃな。結局、政府も企業もこの二つの間をウロウロしとるだけや。
……なんや、進歩しとらんのちゃうか?
経済政策における田沼モデルの評価
田沼はんのやり方を今の経済に当てはめたら、「積極財政」やな。
「とにかく金を動かせ!投資しろ!経済を活性化させろ!」ちゅう考え方や。
これ、今の政治やと「財政出動」とか「経済対策」て言われとるけど、やっとることは田沼はんと同じやん。
例えば、国が「企業を支援します!」言うて補助金出したり、減税したりするやろ?
あれ、江戸時代で言うたら「田沼が商人と組んで特権与えた」んとおんなじや。
せやけど、それでちゃんと経済が回るならええんやけどな?
結局、田沼はんの時代みたいに一部の特権層だけが儲かって、庶民には恩恵が回ってけぇへんっちゅうことになりがちや。
……ほら、どこぞの国の「トリクルダウン」とかいう話と一緒やろ?
松平定信の統治がもたらした長期的影響
ほな、定信はんの「倹約至上主義」はどうや?
現代で言うたら、「緊縮財政」とか「財政健全化」とか、もっともらしいこと言うてるけどな。
これ、要するに「政府は金使わんとき!」って言うてるだけや。
定信はんの時代と一緒で、「無駄遣いをなくせば国は良くなる」っちゅう理屈や。
けど、そういう時に限って、国民には「節約せぇ!」言うてるくせに、役人や政治家はしっかり金使うとるんや。
定信はんの時代もそうやった。庶民には「贅沢禁止!」言うておきながら、武士たちは相変わらずええ暮らししとったんや。
「国のためや!」とか「未来のためや!」言うて締め付けて、結局、今苦しむのは庶民だけ。
どっかで聞いた話やと思いませんか?
江戸時代の政策対立から学ぶ現代社会への教訓
結局、田沼はんの「金で回す政治」も、定信はんの「締め付ける政治」も、どっちも行き過ぎたらアカンのや。
ほら、今の日本も「財政出動するか?引き締めるか?」でグダグダしとるやろ?
せやけど、どっちのやり方も極端すぎたら、結局、庶民は苦しむだけやねん。
歴史を見てみぃな?
田沼はんは金を回しすぎて汚職まみれになって失脚。
定信はんは締め付けすぎてみんなから嫌われて失脚。
ほな、次に「失脚」するんは誰なんやろなぁ?
……まあ、歴史は繰り返す、っちゅうことや。
田沼意次 vs 松平定信の対立を総括!江戸の権力闘争まとめ
江戸時代の政治がどうやったか言うたら、そらもう「極端すぎて庶民がついていけん」っちゅう話や。
田沼はんは「金がすべて!」の経済優先。
定信はんは「贅沢は敵!」の締め付け主義。
ほんで、結局どっちの時代も庶民がしんどかったんや。
……今の政治と変わらへんやんか!
二人の政策のメリット・デメリット
田沼はんのええとこは、経済を回そうとしたことや。
けど、悪いとこは、「回りすぎて賄賂だらけになった」ことや。
一方で、定信はんのええとこは、汚職をなくそうとしたことや。
けど、悪いとこは、「締め付けすぎて経済が冷え込んだ」ことや。
どっちも「ええことしたろ!」思てやっとるのに、結果がアカンねんな。
ほんで結局、二人とも最後は失脚……。
いやぁ、歴史は無情ですなぁ!
江戸幕府がこの対立から得た教訓
幕府は田沼はんの失敗から「賄賂政治はあかん」と学んだ。
ほんで定信はんの失敗から「締め付けすぎてもアカン」と学んだ。
ほな、バランスよくやればええやん?と思うけどな……。
そんな簡単にいかんのが政治ちゅうもんなんやなぁ。
「経済を動かすのはええけど、腐敗したら終わる」
「締め付けるのも大事やけど、行き過ぎたら庶民が苦しむ」
ほんで、結局幕府はその後も右往左往し続けて、最終的には倒れてしもたんや。
……なんや、現代の日本も似たような道を歩んどるんちゃいますか?
歴史から学ぶ現代への示唆
田沼はんの時代も、定信はんの時代も、どっちも庶民には生きづらい世の中やった。
せやけど、この二人の戦いから学べることはある。
それは、「極端な政治はあかん」っちゅうことや。
経済を回すのも、引き締めるのも、どっちもやりすぎたらアカン。
……せやけどなぁ。
こんな単純なことが、どうして歴史上の政治家は理解でけへんかったんやろ?
いや、もしかしたら……「理解しとるけど、やめられへん理由があった」んかもしれんなぁ。
ほな、最後に一句詠ませてもらいますわ!
田沼消え
定信締めて
また戻る
どや、江戸時代の権力闘争、バッサリまとめさせてもろたで!
歴史は巡る言うけど、ほんまにおんなじことを繰り返しとるんやなぁ。
ほな、ここまで読んでくれはったあんさんに、一言。
「この話、今の世の中と何が違いまっか?」
……答えは、考えるまでもおまへんなぁ。
ほな、またのご贔屓、よろしゅうおたの申します〜!
この記事のまとめ
- 田沼意次は経済を活性化させたが、賄賂政治が横行した
- 松平定信は倹約政策を推進したが、庶民を苦しめた
- 「べらぼう」という言葉が当時の社会を反映している
- 江戸時代の政策対立は現代の政治・経済にも通じる
- 極端な政治の弊害を歴史から学ぶべきである
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