あらまぁ、「べらぼう」やなんて、最近はあんまり聞かへん言葉やけど、これがまたなかなか興味深い話につながるんどすえ。
江戸時代に活躍した松平定信はんが、どうやらこの言葉のルーツに関わってはるんやそうな。ほんで、その松平定信はんを今話題の寺田心はんが演じはるんやて?ほんなら、これはじっくり見ていかなあきまへんなぁ。
今日は、「べらぼう」の由来から松平定信はんの改革、そんでもって寺田心はんがどないな演技を見せはるんかまで、たっぷりお話しさせてもらいますさかい、お茶でも飲みながら聞いておくれやす。
この記事を読むとわかること
- 「べらぼう」という言葉の起源と江戸時代の庶民文化
- 松平定信の「寛政の改革」が庶民に与えた影響
- 大河ドラマ『べらぼう』で寺田心が演じる松平定信の見どころ
「べらぼう」という言葉の起源とは?
「べらぼう」いうたら、今でいう「アホちゃう?」みたいなもんやけどな、江戸時代の町人がこさえた、なかなか風刺の効いた言葉やったんやて。
ほんでまぁ、お上には逆らえへんけど、腹立つもんは腹立つ!そやけど、直接文句言うたら打ち首やろ?せやから町人は、うま〜いこと言葉遊びで皮肉を飛ばしてたんや。
「べらぼう」もその一つやろな。大体、この手の言葉はエラいさんに対する陰口から生まれるもんどす。そやけど、ほんまのアホは陰口すら理解できひんからなぁ。
江戸時代の庶民文化とことば
江戸の町人いうたら、まぁ賢いのとアホの両極端やったんやけど、共通しとったんは「エラそうな奴をバカにする文化」やったんや。
そやから、言葉一つで政治を批判したり、役人を笑いもんにするんは、お江戸の風物詩みたいなもんどした。
今で言うたら、SNSで政治家をコテンパンにけなすみたいなもんやな。けど当時は「いいね!」ボタンがあらへんさかい、酒場や寄席で言いたい放題やったんや。
まぁ、ええ歳こいた大人が集まって、しょーもない政策を「ありがたがれ!」言うとった時代どす。そら町人も「べらぼうめ!」言いたなるわなぁ。
松平定信との関係性は?
さてさて、ここで出てくるのが松平定信はんやけどなぁ……この人、ほんまに「べらぼう」そのものやったんとちゃうやろか?
「寛政の改革」いうて、無駄遣いをやめさせる!ちゅうたら聞こえはええけど、実際のとこはただのケチ臭い政策やったんどす。
「贅沢するな!芝居なんか見るな!娯楽は控えろ!」って、お前さん、そないに人の楽しみ奪うて、なんのつもりどす?
ほんなら、偉いさんはどうしてはったか言うたら、自分らだけはええ酒飲んで、贅沢三昧。いやぁ〜、庶民からしたら「はぁ!?べらぼうめ!」って叫びたなる話やねぇ。
ほんでまぁ、定信はんは自分のやっとることがどれだけアホらしいかも気づかんと、「ワシは正しい」言うて突っ走ったんや。まさに歴史に残るべらぼうもんどすなぁ。
松平定信の政治改革と「寛政の改革」
松平定信はんの「寛政の改革」いうたら、まぁ一言でいうたら 「ドケチ大作戦」 どしたな。
そもそも、江戸時代いうたら文化が花開いた時代どした。町人が商売繁盛させて、お芝居やら本やら楽しんで、景気ようやっとったんどす。
せやのに、この定信はんは「庶民が贅沢するのはけしからん!」言うて、締め付けをキツぅしたんや。ほんま、余計なお世話やわなぁ。
厳格な倹約令とその影響
定信はんの倹約令いうたら、それはもう厳しゅうてなぁ……庶民に対しては「お金使うな!節約せぇ!」言うておいて、お偉いさんは相変わらず贅沢三昧や。
「芝居見るな!娯楽は禁止!」言うて、お上が楽しんどった能や茶の湯はしっかり残しとる。いや、どの口が言うとんねん。
庶民の贅沢はあかんけど、武士の無駄遣いはスルーいうんは、ほんまに 「ダブルスタンダードの極み」 どすなぁ。
おかげで町人たちは楽しみ奪われて、経済まで回らんようになって、どんどん不景気になってしもたんや。
いやほんま、「庶民の楽しみを削る」いう改革を「成功した!」って言われても、そら「べらぼうめ!」言いたなりますわな。
庶民の生活に与えた影響
まぁ、こんなアホな政策のせいで、庶民の暮らしはえらいことになりましてな。
- 芝居が禁止されたせいで、役者は失業
- 酒や娯楽が減ったせいで、飲食店も大打撃
- 経済が冷え込んで、町人は節約ばっかり
そのくせ、偉いさんたちは「民は清貧が美徳」やら何やら、ようわからん理屈こねくり回しとったんやけど、ほなら 「お前らがまず清貧になれや!」 って話やわなぁ。
ほんで、民衆が不満爆発寸前になったら、定信はんもビビったんか、急に「ちょっと緩和したろか……」とか言い出してな。
ほな最初からやるなや!ってツッコミたなるやろ? ほんま、この改革、誰が得したんやろなぁ……。
寺田心が演じる松平定信の魅力
さてさて、大河ドラマ『べらぼう』で、松平定信はんを演じるんは 寺田心はん どすな。
まぁ、ここで「え!? あの可愛らしい寺田心くんが、あの ドケチ殿様 をやるんかいな?」って驚いた人も多いんとちゃいますやろか?
でもまぁ、考えてみたら、あの 「クソ真面目で、融通きかん感じ」 は、心はんの演技力があればピッタリハマるかもしれへんねぇ。
演技で描かれる歴史的背景
歴史上の定信はんいうたら、そらもう「庶民の敵!」みたいなイメージやけど、ドラマではどう描かれるんやろなぁ。
たぶん、寺田心はんが演じはるさかい、 「本当は庶民のことを思ってたんや……」 みたいな、ちょっと美化された設定になるんやろなぁ。
せやけど、ワテらからしたら、「いやいや、結果的に迷惑かけとるんやから、そんなに美化せんといてぇな?」ってツッコミたなるわな。
なんせ、定信はんのやったこというたら 「余計なことしかしてへん」 わけで、それを 「名君やった!」 みたいにされても、ちょっとなぁ……。
視聴者が注目すべきポイント
まぁ、それでも寺田心はんの 「泣かせる演技」 には要注目やろな。
- 「民のために改革を……!」って、涙ながらに訴えるシーン
- 周りの老中たちに「若造が何を言うとるんや!」ってバカにされるシーン
- 信念を貫くために、苦悩するシーン
こういうシーンでは、たぶん視聴者も 「あぁ、定信はんも辛かったんやな……」 って気持ちになるやろうけど、ワテはそこに一言添えさせてもらいますえ。
「そら辛いやろけど、庶民はもっと辛かったんやで?」
ほんで、定信はんが最終的に追放される時、「ワシは間違ってたんか……」みたいなシーンがあったら、ワテは 「せやで!」 って画面に向かってツッコミ入れますな。
【まとめ】べらぼう・松平定信・寺田心はんの繋がり
さてさて、ここまで 「べらぼう」という言葉の起源」 から 「松平定信のドケチ改革」 、ほんで 「寺田心はんの演技」 について話してきましたけど、結局この三つはどう繋がるんやろなぁ?
ワテなりにまとめると、こういうことやろ。
歴史と現代をつなぐ視点
「べらぼう」いう言葉は、元々「とんでもないアホ」という意味やったんやけど、それが転じて「型破りでぶっ飛んだ奴」みたいな意味にもなったんや。
松平定信はんは……まぁ、良く言えば 「信念を持った型破りな政治家」やったんかもしれへんけど、庶民から見たら 「余計なことしかしないお節介な殿様」 やったんどす。
ほんで、寺田心はんが演じることで、そこに 「かわいらしさ」 と 「人間味」が加わるんやろなぁ。
せやけど、ワテからしたら 「なんぼ美化しても、アホな政策はアホなんやで?」 って言いたいところどすな。
今後の展開に期待!
まぁ、こうして見てみると、『べらぼう』いうタイトルは、蔦屋重三郎だけやのうて、松平定信はんにもピッタリな気ぃしますなぁ。
「べらぼうめ!」言われながら突き進んだ二人が、どう絡んでいくんか、これがドラマの見どころになるんやろな。
ほな、ワテら視聴者は、VODでじっくりチェックしながら、歴史の「真実」と「演出」の違いを見極めていきまひょか!
せやけど、寺田心はんがどんだけ熱演しても、ワテは最後に一言だけ言わせてもらいますえ。
「いや、定信はん、やっぱり余計なことしすぎやったで?」
🌸 ここで一句! 🌸
「べらぼうめ お前が言うな 寛政令」
この記事のまとめ
- 「べらぼう」という言葉は江戸時代の庶民文化から生まれた
- 松平定信の「寛政の改革」は庶民に厳しく、批判の的となった
- 大河ドラマ『べらぼう』では寺田心が定信を演じ、新たな解釈が期待される
- 定信の政策の是非や影響を、歴史とドラマの視点で考察
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